ヨーロッパ統合の歴史【海外】
2016.6.25

株式会社AWARDの渡邉です。ついに英国がEUを離脱することが決定的になり、今後の流れを世界が見守ることになりました。60年間続いたヨーロッパ統合の流れがここで大きく減速することにもなります。本日は今後のEUの行方を考える意味でも、ヨーロッパの統合に向けた流れを振り返ってみたいと思います。

ヨーロッパを統合していくという概念は第二次世界大戦以降に出てきた流れと言えます。第二次世界大戦は、多くの国々に甚大な被害を及ぼし、人びとは戦争、そして過激思想の恐怖を思い知ることになりました。そして日本に実際に核兵器が使われたことにより、新たな戦争で世界中で核兵器が使用されていくことを恐れました。そんな人々の感情がある中、終戦の1945年の翌年である1946年に英国のウィンストン・チャーチルがヨーロッパ合衆国構想を唱えたことが反響を呼び、1949年には初の汎ヨーロッパ機関である欧州評議会が設立されています。この時点で英国がヨーロッパの盟主的な存在であったことを示すエピソードとも言えますね。

そして、その翌年の1950年5月9日、フランス外相ロベール・シューマンはヨーロッパの石炭と鉄鋼という、戦争で用いられる兵器の製造に欠かせない2つの素材に関する産業を統合することを目的とした共同体の設立を趣旨とするシューマン宣言を発しました。そしてこのシューマン宣言を元とし、1951年にフランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクと西ドイツは欧州石炭鉄鋼共同体を設立するパリ条約に署名を行っています。この石炭と鉄鋼の生産に関する共同体が、今のEUに繋がってくる共同体になっていきます。その後、欧州経済共同体、欧州原子力共同体といった新たな2つの共同体も生まれ、現在にも続いている国家間の関税同盟などが生まれています。1960年代はフランスが自国の影響力の低下を防ぐために、共同体の超国家的な権能を抑える動きを見せたり、英国の共同体への加盟を拒むなどもありましたが、1967年7月1日に上記の3つの共同体の運営機関を統一した欧州諸共同体と呼ばれる体制が発足しています。さらに、フランス大統領の交代をきっかけに、1973年1月1日、デンマーク、アイルランド、そしてイギリスが欧州諸共同体への加盟を果たし、これが欧州連合の主要な政策課題となる拡大の第1歩となっています。

この頃を見てみると、英国とフランスが戦勝国としてヨーロッパを牽引していることが見て取れるかと思います。今回英国がEU離脱を決定してしまいましたが、かつて英国は世界の覇権国であったこともあり、ヨーロッパの中でも大変重要な役割を果たして来た国であるということですね。明日も引き続きヨーロッパ統合の歴史について追っていきたいと思います。

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